オーナーエステティシャン木原由佳プロフィール
●木原 由佳(きはら ゆか)
●12月18日生まれ O型
●6歳と4歳のムスメ達の子育て奮闘中!!
●動物占いは「自由を愛する」ペガサス(笑)
はじめまして!エステBerryオーナーの木原です。
18歳からエステティシャン一筋!!
お客様の笑顔が見れるエステの仕事が大好きです。
サロン理念
エステで女性の幸せを増やし
美しい本当の笑顔をつくる
この想いを胸に、エステティシャンとして
「キレイになりたい」と願う女性のお力になりたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
以下、私のせきららプロフィールです。
ちょっと長いので(笑)
お時間ある時に、読んでいただけたら幸いです。
↓↓
生い立ち
1985年 埼玉県草加市で、誕生しました。
おっとりした性格で、育てやすい子供だったそうです。
1歳のころ、若かった両親は離婚。
シングルマザーとなった母は、
「子供に貧しい思いだけはさせたくない!」と
昼はトラックの運転手、夜はスナックで一生懸命働いて、育ててくれました。
小学校1年生のころには、夜は仕事に行く母を見送って、1人でベッドに入り眠る日々。
たくさんの愛情を受けていたのは、子供ながらに感じていたものの、
さみしいと思うことも多かった、子供時代でした。
さみしくても「さみしい」と言えず、気持ちを抑えて、我慢することもありました。
子供らしくなくて大人びた、冷めたところのある子供でした。
学生時代
中学校時代は友達に恵まれ、初恋もして
(なんと!今の旦那様です)
とても充実したものでした。
しかし、このころの私はいつもぶっちょう面。
普通にしているときの顔がこわいと言われ、
部活動では、「やる気がなさそう」と同じ部活の子に、言われました。
(履歴書用の写真です。この時の面接は不採用でした。笑)
バイトでは「やる気がないならやめてもいいよ!」と、クビになりました。
家庭内では、中2の時に、今の父と再婚。
妹と弟ができて、一気ににぎやかな温かい家庭ができました。
家では、さみしい思いをすることもなくなり、笑顔も増えていきました。
エステティシャンになったキッカケ
私が高校生の頃に、自宅の1室で、母がエステサロンをオープンしました。
高校が厳しく、
「卒業したらとにかく遊びたい!自由になりたい!」
そう思っていた私は、高校を卒業してから、フリーターになりました。
仕事にやりがいを感じることもなく、
パチンコ屋や携帯ショップでアルバイトをしていました。
行きたくないと、ズル休みもしていました。
遊びと、恋愛に夢中でした。
そんな頃・・・母に、
「エステティシャンをやってみない?」
と誘われました。
徐々に笑顔は増えてきたものの、基本はぶっちょう面。
愛想の良いタイプでもなく、要領も悪い。
母を始め、周りの人からも
「由佳、大丈夫なの?」
「エステティシャンなんて本当にできるの?」
心配されまくる、スタートでした。
実際に最初のころは、年上のお客様と、何を話して良いのかわかりませんでした。
1人接客するだけで、どっと疲れてしまったこともありました。
エステの施術も、要領の悪い私は覚えが悪く、
プライドがズタズタになるような言葉を、かけられながら練習する日々。
怒られたときは、ただただムカついて悔しくて、何度も何度も泣きました。
エステの仕事が楽しくなってき始めた頃
思い返すと、私は10代の頃、「肌がきれいだね」と言われたことは、ありませんでした。
日焼けブームで、日焼けサロンに行き、黒いファンデーションを、塗りたくっていました。
ファンデーションは塗りたくるけど、正しいクレンジング方法もせず、メイクを落とさず寝ても平気。
ニキビが増えていきました。
父に「なにその肌」と悪気なく言われ、ショックで逆ギレしました。
その頃、すでにエステサロンを始めていた母に、すがる思いで相談しました。
そして、言われたまま正しいスキンケアをするようにしたら、みるみる肌がキレイになっていきました。
この時に、
「ちゃんとお手入れをすれば肌は変わるんだ!!!」
と、感動したことを今でも覚えています。
私が、お客様のことを「絶対キレイになれる」と信じられるのは、
この時の経験が大きいです。
エステティシャンになってからは、お肌のことを1から勉強しました。
今まで知らなかったことばかりで、知れば知るほどエステの仕事にハマっていきました。
19歳で働きながら、上級エステティシャンの資格を取得しました。
その頃には、
「勉強したことを生かしてお客様に伝えたい!きれいにしたい!」
そんな気持ちの方が勝るようになり、
ぶっちょう面で愛想のなかった私は、
いつの間にか本当の笑顔で接客できるようになっていきました。
お客様に喜んでいただく嬉しさを、知りました。
お手入れによって肌がキレイになっていく喜びを、知りました。
/
エステティシャンって楽しい!!!
\
そう思うようになりました。
現在のエステBerryに移転。そして転機と試練が訪れました
私が高校生の時に、一軒家の1室から始まったサロンは、
ありがたいことにお客様も増え、スタッフも増えて、
3階建ての1階部分を、全てサロンにした現在のエステBerryへ、移転しました。
毎日、たくさんのお客様にご来店して頂きました。
この頃には、母は経営の仕事に完全に回り、私はチーフとして、現場を任されるようになっていました。
そんな頃、サロンにとって私にとって転機と試練が訪れました。
私が24歳になったばかりの冬、オーナーである母が、突然他界しました。
まだ若かった私には、人生観ががらりと変わる出来事でした。
当たり前ですが、なかなか受け入れられませんでした。
しかし、サロン経営は待ってくれません。
当時のスタッフに、
「お店どうするんですか?」
そう聞かれて、とっさに
「やります!!!」
と、答えていました。
今思えば、私がオーナーだったわけではないので、
サロンを閉める
という選択をしてもよかったわけです。
それでも、サロンを続けると決めたのは、
母が残してくれたお店を守りたい。存続させていきたい。
その気持ちがとても強く、2代目として継ぐ決心をしました。
決心をしたものの、心が折れそうなときは何度もありました。
いつも行っている美容院で、
「おかあさん元気?」と言われた、何気ない一言で
泣きそうになってしまったことも、あります。
その頃から、
人には言葉にしなくとも
みんなそれぞれ抱えているもの、悩みがあることを知りました。
エステできれいになりたい!という気持ちだけではなく、
癒されに来ているということを、理解できるようになりました。
「お客様の表面的な悩みだけではなくて、心の深い部分まで癒せるような、エステティシャンになりたい!!」
そう思うようになりました。
24歳で経営とサロンワークをする毎日
サロンを引き継いでからは、スタッフ3名を抱え、サロンを守り経営していく立場になりました。
(当時一緒に住んでいた大好きな祖母と、働いてくれていたスタッフと。)
18歳から24歳までサロンワークしかしていなかった私。
経営とサロンワークの両立は、大変なことが、たくさんありました。
サロンワークと経営は、全く別物だったのです。
「自分が頑張らないと、お店がつぶれる!!」
毎日、必死でした。
はじめての経営とサロンワークで本当に無我夢中でした。
自分の不甲斐なさに、げんなりすることもありました。
プレッシャーに、押しつぶされそうなこともありました。
「もうやめてしまいたい・・」と思ったこともありました。
それでも、
「私がお店を守っていくんだ!!!!」
その思いがあるから頑張ることができました。
私は、エステサロンオーナーとして、もっと自信をつけたい!と思い、
25歳の時、エステの国際ライセンスを取得することを決めました。
働きながら、半年間のスクールで猛勉強!
試験を受けて、エステの国際資格を、取得することができました。
知識や技術だけではなく、エステティシャンとしての在り方など、たくさんのことを学べました。
結婚・出産
27歳で結婚をしました。
(軽井沢、石の教会で式を挙げました!!)
中学の同級生である主人と結婚し、環境が変わったことで、私の気持ちにも変化が出てきました。
24歳で急に、サロン経営者になってしまった私。
経営と施術で忙しく、精神的にもプレッシャーを、常に抱えていました。
結婚したことで、精神的に肩の荷がおりて、
「私が本当にやりたいサロンってどんなだろう?」
考える余裕が、初めてできたのです。
私は、なによりお客様の施術に入ることが、好き。
/
ひとりひとりのお客様に、しっかり向き合っていけるような、働き方がしたい!
\
そこから、自問自答する日々が、続きました。
必死で経営をするあまり、エステティシャンとしての仕事の楽しさや、やりがいを、
忘れかけてしまいそうになったこともありました。
そのような経験から
「今後は自分らしくサロンをやっていこう。」
そう決めたのです!
お客様がエステティシャンと1対1で、ゆったりと過ごせるサロンにしたい。
そして売上や時間に追われることなくマイペースに自分自身がゆとりを持って働きたい。
こんな風に思うようになりました。
当時のスタッフには、正直に自分の気持ちを、話しました。
それは、とても勇気がいることでしたが、理解してくれました。
言いにくいことでも、ごまかさずに、きちんと伝える大切さを、学びました。
当時のスタッフとは、今では良き相談相手であり、
切磋琢磨しあえるエステティシャン仲間です(たまに飲み仲間です。笑)
その後、私は29歳・30歳と妊娠・出産。
現在は、保育園に通う4歳の娘と、小学生になったばかりの6歳の娘。
元気な娘たちに、パワーをもらいながら、時々吸い取られながら(笑)
大好きなエステの仕事をしています。
出産をキッカケに、ホルモンバランスの変化から、シミが濃くなったり、
産後のお肌の衰えを感じるようになり、肌の悩みが増えました。
体型もビックリするほど変わってしまい、本当にショックでした。
鏡を見ると、寝不足でやつれた顔。
お腹と胸にクッキリできてしまった肉割れに、産んだはずなのにポッコリしているお腹。
帝王切開だったので、お腹にはでっかいミミズばれも残ってしまいました。
すごくショックでした。
自分がどっと「老けてしまった」と感じました。
大好きな主人にも、見られたくないなぁと思うようになりました。
女性として自信が持てない・・・・。
そんな悶々とした気持ちを、持っていた時期があります。
私自身が女性として自信を持てなくなってしまった時期があること。
だからこそ、キレイになる喜びを体感したことで、
/
美容ってすばらしい!!エステってスゴイ!!
\
改めて思うことが、できました。
女性にとって、年齢による見た目の変化は、大きな悩みです。
時には、心まで暗くなり、女性としての自信をなくしてしまうくらい、大きなことです。
だからこそ!
私はエステという仕事で、お客様がキレイになる、お手伝いをさせて頂くことで、
肌や身体のコンプレックスで、悩むことなく、
/
その人らしい本当の笑顔で笑っていてほしい!!
\
そんな想いで、エステの仕事をしています。
お肌のお悩みを、改善していくには、カウンセリングスキルも必要です。
お客様に安心してお肌を任せて頂けるように。
様々なお悩みに応えられるように。
次女を妊娠中に認定フェイシャルカウンセラー資格も取得しました。
私の原点
母は出来の悪い私に、スタッフの誰よりも、厳しく指導しました。
その時は、悔しくてムカつく気持ちしかありませんでした。
なんで私ばっかり!!と思っていたし、よく愚痴っていました。
でも、今ならわかります。
優しくすることよりも厳しくすることが愛情ということ。
私がお客様に入ったことで
「お前のせいで客減ったわ!」と母は笑いました。
こんなこと、経営する立場で、ふつう笑って言えません。
今ならわかります。私を信頼して任してくれていたこと。
子供のころからぶっちょう面で、愛想もなく要領は悪い。
そんな私が、18歳から今までずっとエステの仕事を続けてこれたのは、
厳しく、時に優しく、そして信じてくれたから。
エステの仕事に就く、キッカケをくれた母には、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからもずっと変わらない、私の原点です。
今後の夢
そんな母と私の姿を見てきた妹は、3歳からずっとエステティシャンになることを夢見てきました。
「いつかは姉妹でエステBerryをやりたいね」
そんなふうに話していた夢が、遂に叶って、2018年4月から、1年間一緒に働くことができました。
現在(2019・6月~) は、話し合いの末
「前向きな決断として」新しい道に進むため退職。
姉妹で一緒に頑張った日々は、私の人生にとって、とても大切な時間となりました。
応援してくださったお客様、頑張ってくれた妹には、心から感謝しています。
これからは、まだまだ若い妹が、たくさんの経験をしていく姿を、
姉として見守っていきたいと思っています。
これからも、今まで支えてくださったお客様たちに、感謝の気持ちを持ち続けて、
幸せと笑顔を増やすことのできる、エステティシャンでいられるように、私自身も成長していきます。
そして、大好きなお客様に囲まれて、楽しくお仕事をさせていただくことが、私の夢です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
このプロフィールを、最後まで読んでくださったあなたと、お会いできることを楽しみにしております。^^